むあたさん「元気です」

ピリカラ休憩中にお手洗いに行ったところ、扉の外に少し列ができていて、並ぼうとしたら、前の方がふと振り返られたので、見るともなしにお顔を見たら、むあたさんだった!!!

ふたりして「どうも」みたいな言葉を交わす。

すぐ後ろに並ぶのもどうかと思ったので、

「ちょっと時間あけて並びますね」

と言ったところ

「別にいいのに〜」

とおっしゃられたものの、すぐ後ろにいるのもなんだし、ほんの少しだけあける。

その時点で、ワタクシおかしい状態になり、後でいいのに扉付近にあった消毒液を手につけてみたりする。

出てきたら、外通路でお知り合いの方とお話ししているむあたさんは目に入ったのですが、なるべく見ないようにして、自席に戻る。

そのあと会場をよく見ると、私の二つ後ろのテーブルには小湊さん信田さん、その後ろには前田さんむあたさんが。

みなさん-、どうかしてますよー、この会場ー。

 

終演後、物販のあたりで撮影可のピリカラのおふたりの若き日のプリクラ写真(正式にはカード)見てたらですねえ

「さっきは、ちゃんとご挨拶できなかったので」

ええええええええええー

むあたさん!!!!!

「いえ、そんな、あんなところでしたし、こちらこそ、いえ、でも、あっ!って感じになって、覚えていただいていたんだとうれしかったです」

「よく来てくれてたから、覚えてるよ〜、あんまり変わってないからすぐ分かったよ」

(ええ、よく行ってました。よく行ったレベルを超えてよく行ってました。)

このあたりから、汗と涙目でおかしい状態に。

まさかお会いできると思ってなかったこと、今もブログ更新してくれてうれしいこと、2003年5月に初めてメロンと握手をして今年は20年の記念の年だと先日メロン友と話をしていたこと、その時の並び位置の関係で、ハロプロで初めて握手をしたのがむあたさんだったこと、今も年に1、2回新潟には行っていること、また5月に行くつもりでいること、ラジオでさいとーさんがむあたさんと電話した話をされたこと、などをしどろもどろ以下のレベルでお伝えして

 

「(初握手の年)よく覚えてたねー」

(1週間くらい前にあれって、いつのことだっけ?と話題になりそのあとすぐ調べたところだった。2003年5月27日なんばハッチ。チャンラブ発売イベント。むあたさんに披露するためでもなんでもなかったが、気になったらすぐ調べておくもんです)

 

とか

「あの頃は、(握手)そういう並びだったねえ」

とか

「(ひとみんとは)よく電話するの」

 

とかおっしゃられて、感無量。

 

何より

「元気です」

とのことで、それをメロン友だちの皆さんにもお伝えくださいとのことでした。

書いてもいいよ、言ってもいいよ、とのことでしたので、記録の意味もこめてこちらに。

 

「またどこかで、お会いしましょう」

 

と言ってくれたので、その言葉を胸に生きていきたいと思います。

 

イベントの関係者席にいらっしゃるな~程度の確認は、可能性あるけれど、こんな双方向コミュニケーションが、できるなんて思いもしませんでした。

しかもこの20年でむあたさん最長時間大々更新ですよ。

しかもしかも「お時間です」とか、リュックをつかまれて力いっぱい流されるとかいうこともないなんて!

 

12年ほど前にさいとーさんが表舞台から消えていた時に

「またどこかで会えること願っています」

といただいたお礼のお手紙の中にこの一文があったとき、それは叶わない夢よなと思っていたのですが、その後さいとーさんとはいつでも会える状態が11年も続いていて、それって当たり前のことではないけど、

むあたさんとまた会えることも夢ではないと今なら思えるので、元気で生きていこうと思います。

 

 

メロン現場20年周年アニバーサリーイヤーをしめくくる驚きの出来事でした。

21年目の現場もまだまだ続きそうです。解散したけど、終わりはなさそうです。

(解散発表の頃のブログに「終わらないと思っていた夏休みが終わる」と書いていたのをこの前見たけど、おそらく終わらないであろうことをあの頃の私に教えてあげたい。なんなら解散後の方が濃いことも)

 

余談。

ほわほわして、おかしくなったので、とさかさんにクールダウンつきあっていただいて、鳥貴族に。

おかげさまで、帰る頃にはなんとかまっすぐ歩けるまでに立ち直りました。

 

そのとさかさん、会場でむあたさんに

「あいかわらず、おキレイですね」

と、めっちゃ気のきいたことおっしゃっててですね~。すごいわ~!